わっせー’s diary

更新頻度はそんなに高くないです。

必要かな?

伯母の家で法事があった
小さい頃から父の実家よりもお世話になった家。

小さい頃から親子関係や家庭環境での不満と不安を抱えていた私は、

そこの家では我が儘だった。

自分は記憶に無い…と言うか都合よく忘れてしまっているのか分からないけれど、
そうとうやっていたのでは無いかなと。

自宅では甘えられなかったし…

そんな私なのに
穴があったら入ったまま出ないはずなのに

自分にはその家が温かく感じた。

人の心の奥底を知れば
きっと私は嫌われているのに

今でもあだ名で読んでくれる人達。


前振りが長くなったけど
そこの家のおばあちゃんの法事だったのね

このご時世なので、他の親戚にも法事の事は連絡はしていないようだった。

沖縄式なのでお坊さんではなく、
何て言うんだろう?ユタではなく催事を生業としている人が
法事の日取りをしたり、お供え物などを指示したり
当日には法事を進行したりするのだけど、
それをやる人が

なんとあり得ない事に
「今年の干支(丑年)がこの家族にいるので今日の法事は出来ない」と

まさかの当日に言われたんだと。

ドタキャン…

当日に向けて掃除や食事の準備、重箱料理やお供え物など業者に手配したり職場で休暇願いを出したりしただろうに

「出来ない」って。
そりゃないよ。

私だったら大変申し訳ないけれど
怒り心頭。

許せない気持ちになるはず。

親戚のように対応出来ないよ。



こういう事があるので
仏壇行事って必ずやらなきゃいかんものかなと思ってしまう。

お金も時間もかかるし

亡くなった人には日頃の感謝で良いんじゃないのかな?

仏壇を祭壇のようにして
果物や重箱料理やお菓子をお供えしたり、ウチカビ燃やしたり…

いつまでもやる必要って…ある?